経が島・築島寺

兵庫の港を大きな船が寄港できる国際港都として再生するために
埋め立てて島を造ることを考案した清盛は、工事を敢行していった。

現在の埋め立て方法と
なんら変わらない手法:
海に柵を作り、そこに土砂を
入れて埋め立て
順次沖に向かっていく方法が
採用されている。
しかし、台風等予期せぬ災害は、
埋め立てた地を無に帰していった。

人柱を立てれば海の竜神の怒りが沈められるとの占いにより、松王丸が経文を抱いて人柱になり、
その後の工事は無事に進んでいったと伝えられている。その為、「経が島」と称された。

左側が松王丸の慰霊碑   ( 通称 築島寺=つきじまでら  築島山 来迎寺 )

右側囲いの中に
2体並んだ石造は、
清盛の愛人
妓王、妓女という
姉妹の墓。

この埋め立てに
海の近くにあった「塩槌山」
が削られ、なくなった。

入り口右手には
「築島寺」
門柱の上には
「来迎寺」
の名前がある。